「髑髏城の七人」鑑賞4回目
2013.02.23 Saturday
まずはDVD発売決定、おめでとうございます!いつでも好きなところを好きなだけ再生できるようになるのは喜ばしいことですが、スクリーンで体感できなくなるのはそれ以上に寂しいことです。なので、機会があるならばとまたしても登城してまいりました。今度こそが、DVD前最後という覚悟でもって…。
毎回、涙が溢れる場面は大体決まっていますが、今日は“あたしが赤針斎だ!”で思わずぽろり。我ながら驚きました。しかしこの場面、決死の覚悟で髑髏城に乗り込んでゆくというとき。小栗くんの言葉を拝借しますと、みんなが‘“もう”御免’なものを背負って生きてここまで来たのだと思ったら、本当にたまりませんでした。怒りをぶつけるのとは訳が違うと思いますが、どうしてもやらなければならないこと、通さねばならない筋、形勢は不利だとしても、かかってゆかねばならぬ、そんな選択をせねばならぬ、というときなのですね。その道を選ばねば、死ぬほど後悔するのが目に見えているとき、あの状況下なら私でも、後にじわじわと苛まれながら少しずつ死ぬより、飛び込んでバッサリを選ぶかもしれません。(どこかの男爵令嬢のお言葉のようだ!)そうやって心を決めて、誰かのために死ぬる覚悟で戦おうとする、彼らの姿は悲壮でありながら清々しく、なぜか青春活劇にも見えて、そういう志に触れられたことを貴ばずにはいられません。
ここでもうひとつがつんとくるのが‘天魔王、てめぇが雑魚だと思ってる奴らの力、思い知らせてやるぜ!’です。宣戦布告には違いありませんが、こてんぱんにのす、とか、ぶっつぶす、とかの勝利宣言ではないところが、いいなと思いました。
幾つもハッとする台詞があります。私ごときに深い解釈や何やはとても及びませんが、今日ぐっと来たのは太夫の“心の内をさらせば誰かが傷つく”というもの。そうやって本音を押し殺して生きてきたのだろうかと推察される、太夫の半生が映し出されたようだと感じました。
「蛮幽鬼」DVDの特典で、上川さんが“中島さんの脚本には隙間が描かれておらず、想像の余地がある”ようなことを仰っていたけれど、この作品もまさにそうだと感じています。見る度に新しい視点を開拓でき、その度に発見をし、それを確認するという名目で映画館に来ているという。いえいえ、そんなしみったれた理由なんかじゃござんせん。だって、この作品を愛してやみませんもの!
毎回、涙が溢れる場面は大体決まっていますが、今日は“あたしが赤針斎だ!”で思わずぽろり。我ながら驚きました。しかしこの場面、決死の覚悟で髑髏城に乗り込んでゆくというとき。小栗くんの言葉を拝借しますと、みんなが‘“もう”御免’なものを背負って生きてここまで来たのだと思ったら、本当にたまりませんでした。怒りをぶつけるのとは訳が違うと思いますが、どうしてもやらなければならないこと、通さねばならない筋、形勢は不利だとしても、かかってゆかねばならぬ、そんな選択をせねばならぬ、というときなのですね。その道を選ばねば、死ぬほど後悔するのが目に見えているとき、あの状況下なら私でも、後にじわじわと苛まれながら少しずつ死ぬより、飛び込んでバッサリを選ぶかもしれません。(どこかの男爵令嬢のお言葉のようだ!)そうやって心を決めて、誰かのために死ぬる覚悟で戦おうとする、彼らの姿は悲壮でありながら清々しく、なぜか青春活劇にも見えて、そういう志に触れられたことを貴ばずにはいられません。
ここでもうひとつがつんとくるのが‘天魔王、てめぇが雑魚だと思ってる奴らの力、思い知らせてやるぜ!’です。宣戦布告には違いありませんが、こてんぱんにのす、とか、ぶっつぶす、とかの勝利宣言ではないところが、いいなと思いました。
幾つもハッとする台詞があります。私ごときに深い解釈や何やはとても及びませんが、今日ぐっと来たのは太夫の“心の内をさらせば誰かが傷つく”というもの。そうやって本音を押し殺して生きてきたのだろうかと推察される、太夫の半生が映し出されたようだと感じました。
「蛮幽鬼」DVDの特典で、上川さんが“中島さんの脚本には隙間が描かれておらず、想像の余地がある”ようなことを仰っていたけれど、この作品もまさにそうだと感じています。見る度に新しい視点を開拓でき、その度に発見をし、それを確認するという名目で映画館に来ているという。いえいえ、そんなしみったれた理由なんかじゃござんせん。だって、この作品を愛してやみませんもの!