「スプリット」鑑賞二回目
2017.05.15 Monday
人格を演じ分けるのみならず、人格を演じ分けながらデニスがバリーのふりをしている芝居をもするのだから、これ本当に凄まじいことだなと思います。
今日見ていて考えたのは、停車場に花を置いた人格とその意味、それからケイシーのスプリットについて。わからなくなりそうだったのでちょっと整理してみたのですが、以下のとおりで合ってますかね?
家を出たとき=デニス
花を買うとき=パトリシア
電車に乗るとき=デニス→花を置く
乗ってから〜帰宅し少女と先生を殺害=ビースト
呼名=ケビン→ジェイド→オーウェル→バリー→ヘドウィグ→パトリシア→ビースト
前半の行動だとパトリシアがいちばん友好的で無害(話の分かる大人)のようにも思えたのですが、それってむしろヘドウィグのほうで、後半も合わせるとパトリシアは狂信的だなと。アルカイックスマイルで殺りに来るみたいなこわさ。
で、花について。ここで何故花を買うのかがちょっとわからなかったので考えたのですが、存在を主張し始めた人格たちが、守る名目でケビンを完全に葬ってしまおうとしていたということだったのでしょうか。ビーストに向かう上でメインとなるのはビーストの存在を早くから取り沙汰していたふたり、花を選ぶのはパトリシアのほうがそういうのが得意だから、たぶん手向けるのはどちらでもよいけれど、外を歩く以上見てくれの面で目立ちにくいにはデニスだろうから彼。
最後の鏡越しに交わされる人格たちの会話には、デニス、パトリシア、ヘドウィグしか登場していないのかな。とすると、バリーは本編に登場しなかった人格たち同様、椅子とスポットのある部屋の隅っこに行ってしまったのかも。いずれなにかのきっかけで、登場しなくなった人格たちが結託してひとつの新たな人格が生まれ(統合されたひとつ)ビースト推しの3名と対峙するなんて構図も見てみたかったりする。
さてもうひとつ、幼少期に大変な体験をした(そして終盤で映った傷跡から予想するに実父の死後もそれが継続したと思われる)ケイシーはスプリットしていなかったのかということ。していたんじゃないかなぁ。という仮説のもと、どのような人格だったのか、エンドロールの間じゅう考えていました。それでふと思いついたのが「狩りで撃たれて死んだ鹿のような人格」。たとえば初めて仕留めた獲物があの鹿の死骸を見下ろしているシーンだったとしたら、自分より大きな獣が生前の姿そのままに全ての動きを止めてしまった様子って、印象が強烈なような気がするのですよね。あの危機的な状況の中でさえ、ケイシーは何度も眠りから覚める描写があったし、猛獣の檻の近くをとおるときの反射的に強ばる反応と合わせて、自画自賛みたいに鹿説に納得してしまったのでした(笑)。
最後にこれはなんとなくなのですが、ケビンは(ケビンに戻っているか別の誰かかはわからないけれど)ケイシーの元へ戻る気がしました。
今日見ていて考えたのは、停車場に花を置いた人格とその意味、それからケイシーのスプリットについて。わからなくなりそうだったのでちょっと整理してみたのですが、以下のとおりで合ってますかね?
家を出たとき=デニス
花を買うとき=パトリシア
電車に乗るとき=デニス→花を置く
乗ってから〜帰宅し少女と先生を殺害=ビースト
呼名=ケビン→ジェイド→オーウェル→バリー→ヘドウィグ→パトリシア→ビースト
前半の行動だとパトリシアがいちばん友好的で無害(話の分かる大人)のようにも思えたのですが、それってむしろヘドウィグのほうで、後半も合わせるとパトリシアは狂信的だなと。アルカイックスマイルで殺りに来るみたいなこわさ。
で、花について。ここで何故花を買うのかがちょっとわからなかったので考えたのですが、存在を主張し始めた人格たちが、守る名目でケビンを完全に葬ってしまおうとしていたということだったのでしょうか。ビーストに向かう上でメインとなるのはビーストの存在を早くから取り沙汰していたふたり、花を選ぶのはパトリシアのほうがそういうのが得意だから、たぶん手向けるのはどちらでもよいけれど、外を歩く以上見てくれの面で目立ちにくいにはデニスだろうから彼。
最後の鏡越しに交わされる人格たちの会話には、デニス、パトリシア、ヘドウィグしか登場していないのかな。とすると、バリーは本編に登場しなかった人格たち同様、椅子とスポットのある部屋の隅っこに行ってしまったのかも。いずれなにかのきっかけで、登場しなくなった人格たちが結託してひとつの新たな人格が生まれ(統合されたひとつ)ビースト推しの3名と対峙するなんて構図も見てみたかったりする。
さてもうひとつ、幼少期に大変な体験をした(そして終盤で映った傷跡から予想するに実父の死後もそれが継続したと思われる)ケイシーはスプリットしていなかったのかということ。していたんじゃないかなぁ。という仮説のもと、どのような人格だったのか、エンドロールの間じゅう考えていました。それでふと思いついたのが「狩りで撃たれて死んだ鹿のような人格」。たとえば初めて仕留めた獲物があの鹿の死骸を見下ろしているシーンだったとしたら、自分より大きな獣が生前の姿そのままに全ての動きを止めてしまった様子って、印象が強烈なような気がするのですよね。あの危機的な状況の中でさえ、ケイシーは何度も眠りから覚める描写があったし、猛獣の檻の近くをとおるときの反射的に強ばる反応と合わせて、自画自賛みたいに鹿説に納得してしまったのでした(笑)。
最後にこれはなんとなくなのですが、ケビンは(ケビンに戻っているか別の誰かかはわからないけれど)ケイシーの元へ戻る気がしました。