劇団四季での公演が決定している戯曲の原作本。本当は購入して読みたかったのですが、諸所の理由から断念し、図書館で借りることにしました。
俳優たちの動きや照明の演出までが事細かに書かれているので、舞台上に現れるであろう具体的な情景が想像しやすかったです。これに忠実に創られているのか、どうなのか、実際を目撃するのがとても楽しみ。狂喜と正気の境目とか、そういうことにとても興味があります。あとは、アラン役の俳優が、如何に自分の芯に理性を残して激情を体現できるか…も気になるところです。
崇めるあまり均衡が崩れ、愛するあまり手にかける。本作中で繰り返されるように、その崇め方や愛し方は極端です。それゆえに恐ろしいのは、自覚ないところで進む精神的な腐食。アラン自身が成長途上であったけれど、極端な教育がなされていたために情報に偏りがあったのではないかとも思います。だから、父親の思いがけない姿を見たときの衝撃は、ジルが同じことを知ったときのものより大きく、他の心理的な部分に歪(ひず)みをもたらした…。アランの繊細さ・神経質さ・そしてこのあまりにも純粋な狂気は、清らかな魂が世間体とか社会的な規範の概念に押し込まれるのを拒んで、必死にもがいているようにも見えるのです。狂気といっても…私が狂っているとすれば必ずしも正しくない表現ですが。
ひとつ、これは実際に演じられる場面を観て、自分がどう感じるかを確かめたいものがあります。アランが馬の目を潰したいきさつを全て語り終えた直後に、痙攣的にダイサートにしがみつくとき、彼はダイサートに心を開いていたのか、否かということ。本心から彼にすがったのか、どうなのか、ということ。
アランの告白にはぐいぐいと惹きこまれ、特に、馬に櫛を入れる場面と事件を起こす場面では時間と場所を忘れ、本の中に見ている世界であるというのも忘れて夢中になっていました。私の方が、恍惚としてしまっていて。